リアルで美しくヒューマンインタレストを感じさせ存在感のある肖像写真を撮影する。

場所、光、角度を計算しモデルがリラックスしカジュアルなスタイルになる瞬間を捉え、陰影のメロディを奏でます。写真が絵画との差異は限りなく客観的なところだと思います。生きて呼吸している瞬間をカメラに収めたいと考えております。          

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深田悦之氏肖像写真
杉並区立和田中学校、放課後の教室。差し込む夕日をカーテンで遮断し、撮影機材を足早に運び込みセットを組んでいく。青春時代の感傷に浸っている余裕もない!早く撮ってよ!とばかりに演奏し始めるガッコーでブルースかよ?の深田氏。Vol.2 深田悦之氏ギターとラケットで子どもとふれあう場が僕のブカツ(株)ぎょうせいから出版されている新教育課程ライブラリ巻頭ページでインタビューと肖像写真を担当してます。
<img src=”man.jpg” alt=”遠藤まめた氏”/>
遠藤まめた氏肖像写真
It Gets Better! 幼稚園児の頃から性に違和感を抱えていた。小学校、中学校も自身の違和感の正体が理解できずに。高校でセーラー服の着用を義務付けられ、毎日、異なる性別の制服を着て過ごす事が死ぬほど辛いと訴えたが理解されずに!(取材・構成/本誌 萩原和夫)本誌より引用大学時代から<レインボーカレッジ><やっぱ愛ダホ!idaho-net>など活動を通して、LGBTの同じ悩みを抱える若者を支援している遠藤まめた氏。共著に<思春期サバイバル10代のときって考えることが多くなる気がするわけ。>はるか書房など自分にとって大事なものを一つ一つ身に着けていくような生き方が大事だと思う。新教育課程ライブラリーVOL.4 (株)ぎょうせい 
<img src=”man.jpg” alt=”菊池省三氏”/>
菊池省三氏肖像写真

『子どもを育てる』のではなく、『人間を育てる』視点が、教師には必要。毎日が、”成長の授業”なのです。「好き」と「嫌い」の間にある細やかな思いを表現し、それを受け止めることができる子どもたちを育てていきたい。平日は学校での特別授業や講演、週末は菊池道場や教育究団体などでのセミナー。もしかしたら、教員時代よりかなりきついスケジュールですねと菊池省三氏(笑)(取材•構成/関原美和子)04年第1回北九州すぐれた教育実践教員表彰。05年福岡県市民教育賞受賞『菊池先生の「ことばのシャワー」の奇跡』(講談社)『菊池省三流奇跡の学級つ”くり』(小学館)など共著書多数12年7月NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演、大反響を呼ぶ。縄文時代と弥生時代、どちらが幸せか?新教育課程ライブラリーVOL.5 (株)ぎょうせい

<img src=”man.jpg” alt=”しまだ たえこ氏”/>
しまだ たえこ氏肖像写真

虐待を受けている子どもたちを救い出すのはもちろん虐待してしまう大人も救いたい。もう30年以上前の話になりますが、私自身、小学校1年生終わりから中学2年生までの約6年間、父親と継母に虐待されました。小学校4年生のあの日。それまでは「いつかは元の優しい父に戻ってくれる」と信じていました。私が父に殺されかけて日のことです。虐待をしていた大人を責めても問題は解決しません。もちろん、暴力は犯罪です。その点はきちっと押さえたうえで、虐待していた大人には「昨日までの事で自分を責めても何も変わらない。今日からあなたが変わればいい。それが大切だ。」と。産んだ以上、自身はなくても覚悟をもって子供と向き合ってほしいのです。「今、この瞬間を生きている」ことは意味があるのだから。(取材・構成/関原美和子)しまだ・たえこ氏 1972年神戸市生まれ。現在(株)イージェット代表取締役会長今年度開校した自立を目指す若者を応援する「未来価値創造大学校」校長虐待やいじめ,DV防止などを中心に全国各地で講演を行っている。著書に『e  love smile』(1,2巻ともパレード)『虐待の淵を生き抜いて』(毎日新聞出版)がある。

<img src=”man.jpg” alt=”まつまる すすむ氏”/>
まつまる すすむ氏肖像写真
「学校給食甲子園」で男性初の全国優勝を果たした学校給食栄養士の松丸奨さん。これまで考えてきた献立は100点満点。でも、僕自身の中の満点は300点。まだまだです。かつて偏食だった少年は今、子どもたちがもっと喜んでくれる給食を作ろうと、好き嫌いをなくしたり、地元の「江戸東京野菜」を使ったり様々な献立づくりに挑戦している。さあはじめましょう!まつまる・すすむ氏1983年千葉県生まれ。高校卒業後、華学園栄養専門学校に入学。卒業後、栄養士として千葉県内の私立病院に勤務し、5年間病院食の献立作成や栄養管理に携わる。2008年4月から東京都文京区立青柳小学校、16年度から金富小学校に勤務。12年に、第7回全国学校給食甲子園にて東京代表に選出。翌年の第8回大会で全国優勝。著書に『日本一の給食レシピ子どもがすくすく育つ』(講談社)がある。
<img src=”man.jpg” alt=”きたばやし ようじ氏”/>
きたばやし ようじ氏肖像写真
自分自身を振り返ることで心を満たし、家族に思いを伝えていく”ファミリーヒストリー”です。アメリカの発達心理学社エリクソンが提唱した心理社会的発達理論では、人生を8段階に区分しそれぞれで解決すべき発達課題があるとしています。その最後を示すのが65歳以上の成熟期です。この時期の課題は『自我の統合』で、『私は私でいて良かったのか?』『自分は満足した人生を送ったか?』という問いに答えを見つける時期です。『私の絵本』は、自分自身を振り返ることで心を満たし、家族に自分の思いを伝えていく”ファミりーヒストリー”です。きたばやし・ようじ氏 1981年秋田県生まれ。京都大学卒業後、東京の大手電機メーかーに勤務し、営業職に携わる。会計事務所勤務を経て、2012年、秋田県に帰郷。13年に、『私の絵本カンパニー』を創業する。『私の絵本』は、NHKのローカルニュース番組や日本テレビNEWS ZEROなど、様々なメディアで取り上げられている。14年グッドデザイン賞受賞。私の絵本カンパニーhttp://www.watashi-ehon.com/
<img src=”man.jpg” alt=”きりう まさゆき氏”/>
きりう まさゆき氏
現場に足を運ぶことで、”犯人の目線”に立って考えることができました。テレビドラマや映画で注目されている『犯罪者プロファイリング』。桐生正幸さんは山形県警の科学捜査研究所で犯罪者プロファイリングに携わり、いくつもの”現場”を見てきた。その経験を活かし、犯罪心理学や防犯などの研究や調査を行うとともに、犯罪心理学を活かした仕事を目指す若者たちを育てている。きりう まさゆき氏 1960年山形県生まれ。山形県警科学捜査研究所主任研究官としてポリグラフ検査や犯罪者プロファイリングの業務などに携わったのち、2004年、博士(学術)を取得。関西国際大学人間学科学部教授を経て、14年から東洋大学社会学部社会心理学科教授(犯罪心理学、捜査心理学など担当)。大阪府社会復帰支援専門委員、兵庫県地域安全まちづくり審議委員、日本犯罪心理学会全国理事、日本法科学技術学会評議員、日本応用心理学理事を務める。著書に『基礎から学ぶ 犯罪心理学研究法』(福村出版)など。
<img src=”man.jpg” alt=”いながわ じゅんじ氏”/>
いながわ じゅんじ氏肖像写真
殺そうとまで思った、障害を持った次男から教わったことは、一日一日を大切に生きることでした。■工業デザイナーからタレントになり、怪談話で生きていくようになるなんて、昔は想像もしなかったけれど、自分らしいなあと思います。人から愛され、穏やかに笑っている自分が好きですよ。■私が40歳の時に生まれた次男(由輝)は、クルーゾン氏症候群という先天性の障害を持っていました。生後4か月で手術をすることになったのですが、女房からその話を聞いた時、頭が真っ白になりましたね。手術前、病室で次男を見た時とっさに今なら殺せるんじゃないかと考えたんです。■生後4か月での手術後、先生たちに囲まれたベッドは檻のような鉄柵に囲まれてました。そこに管のついた何本もの瓶がぶら下がっていてその数の多さに驚きました。大きなベットの中央に4ケ月の小さな次男が口と鼻だけを出して包帯を巻かれて、こんな状況なのに、次男はハアハアと息をしながら、一生懸命に死と闘っている。ほしくて授かった子どもなのに、親の身勝手な考えで命を奪おうとしたなんてー■来年、古希を迎え自分と怪談を愛してくれる人たちが周りにいるって本当に幸せですね。3年前に次男は26歳で亡くなりました。世の中には、いらない命なんてありません。次男は私の子どもだったけれど、親の私なんかより人間としてはずっと上でした。私がバリアフリーの講演を行うのは、次男への懺悔もありますが、傍らに由輝がいるようで、ほっと救われている気持ちもあるんです。■毎年、ライフワークとして行なっている怪談話の全国ツアーは常に満席だ。ツアーに訪れる客は、小学生から若いカップル、年配者まで 幅広い。稲川さんの怪段話には、怖さを超えた人間の”心”が宿っている。自分と怪談を愛してくれる人たちが周りにいるって本当に幸せですね。まさに森林浴ならぬ”人間欲”じゃないでしょうか。一日一日を大切に生きるー 次男が教えてくれた事を忘れずに生きて生きたいと思っています。いながわ・じゅんじ氏1947年東京都生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、工業デザイナーに。ラジオの深夜番組で人気を得た後、テレビレポーター、リアクション芸人として幅広く活躍。怪談話の語り部として、1993年怪談ライブを行い、95年からは全国ツアー『ミステリー・ナイトツアー』を開催している。96年『車どめ』が通商産業省選定グットデザイン賞を受賞。公式ホームページ http://j-inagawa.com

<img src=”man.jpg” alt=”にいつ はるこ氏”/>
にいつ はるこ氏肖像写真
楽しく生きることが一番。世界でたった一人の”私”を大切に自分の道を歩いていきたい。私の人生を切り拓いた”心を込めた”清掃羽田空港は2013・14・16年と”世界で最も清潔な空港”に選ばれた。その立役者・新津春子さんは今、”世界一の清掃職人”として脚光を浴びている。中国残留孤児2世として苦労の末、天職を得たという新津さんの道のりを聞いた。にいつ・はるこ氏 1970年中国瀋陽生まれ。日本空港テクノ株式会社勤務。環境マイスター。17歳で渡日し、以後25年以上にわたり清掃業務に携わる。ビルクリーニング技能士、職業訓練指導員、ハウスクリーニング技能士など多くの資格を持ち,独自の清掃法や80種類を超える洗剤の用法を開発。1997年全国ビルクーリニング技能協議会優勝。著書に『世界一清潔な空港の清掃人』『清掃はやさしさ』『新津春子。世界一のおそうじマイスター』『ラクラクお掃除 新津式汚れ落とし術』など。新教育課程ライブラリーVOL.11 (株)ぎょうせい初めてのアルバイトがビル掃除だった。高一春から数ヶ月だったか...あの頃は体力は一応自信があったが決して楽な仕事ではなかったと記憶している。
<img src=”man.jpg” alt=”むなかた さとし氏”/>
むなかた さとし氏肖像写真
鬼を上手に暮らしに取り入れる。そんな日本人のユニークさや知恵に惹かれますね。ありふれた日常こそ文化だと思います。当たり前なありふれた日常を自分なりに感じて、それを引き出して写真に収めるというのが好きですね。私は、ありのままの現実というのは、実は厳しいものではかないと考えているのです。厳しいからこそ、1日1日を地道に精一杯生きるということが尊いし、人間としての魅力も、厳しい現実を通して生まれてくるのではないかと思っているんです。確かに祭りは日常ではないけれど、そこには五穀豊穣や安全祈願など、現実の1日1日を営む願いが込められているわけです。全国の祭りを撮り続ける宗方氏。祭りに登場する鬼に惹かれて、全国からファインダー越しに収集した鬼は120を超えるという。鬼に込められた人々の思いや厳しい現実の中に生きる人々の暮らしを表現して40年。撮影活動を通して見て感じたことを聞いてみた。むなかた・さとし氏 1947年東京都生まれ。ワークショップ写真学校卒。72年ササキ・スタジオ入社。76年同退社後、フリーに。川越をはじめ、津軽、夕張。日本ロマンチック街道などを取材。日本写真家協会会員。全国の祭りや鬼の写真を撮り続ける。主な出版物に『川越オリジナルカレンダー』(1984〜92年)『川越の祭り』『鬼神の心』など。
<img src=”man.jpg” alt=”高橋藤一氏”/>
高橋藤一さん
酒は授かるもの。自然界の力を信じ、微生物にとって最適の環境を造ることが私の仕事です。自然界の力で 夢を追い続けた純米酒を醸す秋田県由利本荘市の酒蔵・齋彌酒造店の高橋藤一さんは、酒造り50年の超ベテランにして、気鋭の杜氏として知られる。余分な手を加えず自然界の力を引き出す酒造りに挑戦し、平成に入ってから全国新酒鑑評価会で17度の金賞受賞という偉業も成し遂げた。『酒は人間でなく微生物がつくるもの』という高橋杜氏に酒造り職人としての哲学を聞いた。1945年横手市(旧山内村)生まれ。19歳で北仙酒造(旧角館町)に入って以来、酒造りに携わる。吉井酒造(弘前市)に勤めていた75年、30歳で杜氏資格を取得。吉井酒造から吉野酒造(旧六郷町)を経て、84年から齋彌酒造店(由利本荘市)の杜氏として酒造りに努める。2001年オーガニック工場の認定を受け。翌年、日本初のオーガニック日本酒を醸造。全国新酒鑑評会、秋田県清酒品評会、東北清酒鑑評会などで受賞多数。05年全国新酒鑑評会で金賞受賞(7年連続)。現在、齋彌酒造取締役。
<img src=”man.jpg” alt=”こばやし まさる氏”/>
こばやし まさる氏肖像写真
技と志で弘前の春を彩らせる『桜守』樹木医25年。小林勝さんは弘前公園の桜を守り育てる”医師”として活躍を続けている。1本1本の異変にも心を配り、時には倒れた桜も蘇生させる。弘前の桜を守る伝統手法を受け継ぎ、後継者の育成にも力を注いでいる。各地から花の便りが届き始めている頃。季節を彩る桜を支える、樹木医の仕事にかける思いを小林さんに聞いた。こばやし・まさる氏 昭和28年弘前市生まれ。弘前市都市環境部局公園緑地化参事(桜守)。51年弘前大学農学部園芸学科卒業後、第一園芸(株)、55年弘前地方農業共済組合。58年(財)弘前市公園緑地協会、平成16年弘前市職員となり現職。平成4年に「樹木医」資格取得。25年「東奥賞」26年日本さくらの会「さくら功労者」受賞。
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かわさき さちこ氏
『古事記』『日本書紀』など古代を生涯のテーマに作品を発表し続けている。その優雅さや美しさとともに情感や動きを切り取る作風は高い評価を受け、内閣総理大臣賞をはじめとした多くの賞を獲得している。その背景には、支え合う家族の存在があったー。
かわさき・さちこ氏 昭和18年福岡市生まれ。37年から博多人形師の父・川崎虎雄に師事。47年、「額田王」で福岡市長賞を受賞。その後「珠裳の裾」「鏡」で通産大臣賞(52年、55年)「桜・ロマン」で総理大臣賞(平成元年)、その後も数々の受賞を続け、近年も「山のしづく」で3度めの総理大臣賞を受賞。「在りつつも」「駈ける影媛」で経済産業大臣賞。国指定伝統工芸士、28年に厚生労働省の「現代の名工」に選出。日本の古代をテーマに、女性の美や情感を繊細に表現する精巧な造形と鮮やかな彩色で高い人気を誇る。
<img src=”man.jpg” alt=”熊倉隆一氏”/>
熊倉隆一氏肖像写真
江戸切子にも高い技術とビジネスセンスが必要。常に時代を読み一歩先を行く伝統工芸を目指していきたい。『江戸切子の店 華硝』は、オリジナル作品の直営店。ぐい飲みや小皿などはもとより、ランプシェードやシャンデリアなど洋の東西を問わない斬新なデザインで注目されている。技術の粋を極めた文様カットや透明感のある仕上がり、有田焼とのコラボ作品など、江戸切子に独自の世界を築き、国内外から高い評価を得ている。その『華硝』を高い技術とビジネスセンスで支える2代目熊倉隆一氏に新たな江戸切子の世界を聞いた。 株式会社江戸切子の店 華硝1990年代に熊倉隆一氏によって設立。氏しかできないといわれている米つなぎをはじめ糸菊つなぎ、玉一松など、新しい文様を次々と開発。一方で芸術性の高い作品も発表している。3代目熊倉隆行氏も加わり、ジュエリー、帯どめ、ルアーなど、これまでになかった作品も手がけるようになる。中でも江戸切子のランプは国内外でも人気が高く、高岡銅器や有田焼とのコラボによるランプも制作。江戸切子制作技術を応用した発想力のある作品作りを目指すようになる。2008年洞爺湖サミットの国賓への贈呈品に米つなぎのワイングラスが贈呈品として用いられる。

<img src=”man.jpg” alt=”うちぼり みつやす氏”/>
うちぼり みつやす氏肖像写真
酢ばらしい”世界の扉を開く水先案内人酢の魅力を全ての人にー。内堀光男氏は、自ら”酢ムリエ®”を名乗り、新しい酢の開発や、素材の良さを引き出す酢の使用法などを様々に提案する。新たな酢の世界を広める伝道者として活躍中だ。果実の香りをりをもったフルーツ素材の「デザートビネガー®」は、広く人気を博し、農林水産大臣賞を獲得するなど開発者・研究者としても大きな業績をもつ。そんな内堀氏に、知られざる酢の魅力と氏が切り開いた新たな世界を聞いた。うちぼり みつやす氏 1961年岐阜県生まれ。山梨大学工学部発酵生産学科卒、商社勤務を経て、家業の内堀醸造株式会社入社。2003年には、自らが考案・開発した新ジャンルのお酢「デザートビネガー®」を取り扱う酢専門店オークスハートをオープン。全国各地にある高島屋にて続々と店舗を展開。そして2006年には、お酢の世界に新風を吹き込んだ功績が認められ、個人では珍しく、開発部門における農林水産大臣賞を受賞。現在は国内のみならず世界各地にも出向き、”酸ムリエ”としてお酢の楽しさや魅力を広める活動を精力的に続けている。雑誌、テレビなどでも活躍中。オークスハート株式会社 103-0027 東京都中央区日本橋2−15−5PMO日本橋2丁目ビル6階TEL03- 3517-1355FAX03-3243-7778 HP http://www.vinegar-world.com
<img src=”man.jpg” alt=”さの すえしろう氏”/>
さの すえしろう氏肖像写真
木造艇で世界をうならせる気概の船造り職人 船大工佐野末四郎氏を知るには、その作品に触れるのが一番だろう。氏が造るマホガニー製のヨットは、その推進力や乗り心地のよさとともに快適な住空間を提供してくれる。そんな佐野氏の木造艇建造技術は”SANOMAGIC”と世界に評され、常に注目を集めてきた。今に至る道のりには波瀾万丈の半生があったが、『木造のよさを伝えたい』という職人としての誇りと技術が、今や造船に限らず多彩な作品を生み出す推進力ともなっている。さの すえしろう氏 1958年江東区で江戸時代から続く佐野造船所8代目佐野一郎の三男として生まれる。中学の頃から父のもとで船体設計を学び、18歳で外洋ヨットを製作。91年よりオランダの王立造船所に働き、独立。2002年世界最大のボートショーにマホガニー製の6.2メートルのランチボートを 出展。当時としては珍しい木造艇が好評を博し、SANOMAGICは世界に知られるブランドに。その後、製作の幅を広げ、木製の自転車バイク、家具、スピーカーなどを手掛け、高い機能性を持つ美しいフォルムで、ユーザーをうならせ続けている。木造艇建造の第一人者。工房『SANOMAGIC』主宰。
<img src=”man.jpg” alt=”あかぎ かんこ氏”/>
あかぎ かんこ氏肖像写真
子供の学びを支える本の世界をつくる『本の探偵』として活躍中の赤木かんこさん。その豊富な知識を生かして、今読みたい本、もう一度読みたい本など、あいまいな情報でも探し当てる。現在は、利用者のニーズに合った図書館づくりやアクティブ・ラーニングのための百科事典の活用法、図書館の司書やボランティアのための講習など、本にまつわる様々な分野で活躍中だ。学びの場としての図書館をどうつくるか、言葉をめぐる子供の世界は今どうなっているのか。赤木さんの目からみた課題や解決方策を聞いた。あかぎ・かんこ氏 長野県生まれ。法政大学英文学科卒業。子供の頃に読んでタイトルや作者名を忘れてしまった本を探し出す『本の探偵』として知られる。子供の本の紹介、書評、図書館の改造運動、司書やボランティア養成など、本に関わる様々な分野で活躍中。著書に『こちら本の探偵です』『かんこの世界児童文学史』『しらべる力をそだてる授業!』『先生のための百科事典ノート』『今こそ読みたい児童文学100』など多数。
<img src=”man.jpg” alt=”白梅学園大学教授増田修治氏”/>
増田修治氏肖像写真
増田修治氏白梅学園大学教授ユーモア詩から子供の素顔を引き出す授業づくりの達人子供ならではの機微を綴った『ユーモア詩』。家族の奇妙な言動、大人の優しさや小狡さなど、子供が赤裸々に語るユーモア詩を題材にした授業は、2002年にマスコミに取り上げられ大反響を呼んだ。今や増田氏の代名詞となったユーモア詩は、授業づくりや生徒指導のテキストとしても今も教員研修や教育要請などの場で活躍し、全国に浸透してきている。そんなユーモア詩の魅力や可能性について増田氏に聞いてみた。ますだ・しゅうじ氏 1958年生まれ。埼玉大学教育学部卒。80年より埼玉県内の小学校教師として教鞭を取る。30代に手掛けた『ユーモア詩』の授業が話題に2008年より白梅学園白梅学園大学に転じ准教授、14年より現職。NHK人間ドキュメント『誌が踊る教室』、テレビ朝日「徹子の部屋』、フジテレビ『ほんまでっか!!TV』などメディア出演も多い。主な著書に『話を聞いてよお母さん、比べないでねお父さん』『子供が育つ言葉がけ』『よくわかる教育原理』など多数。近著に『「いじめ・自殺事件の」深層を考える』。
<img src=”man.jpg” alt=”和田秀樹氏”/>
和田秀樹氏肖像写真
ワールド・スタンダードの高等教育が先進国の条件。日本の教育改革はそこに向かうべきです。1987年「受験は要領」がベストセラーになって以来、大学受験の世界のオーソリティとしても知られる和田秀樹氏。精神科医として心のケアや老人医療なども手がける傍ら、映画監督としても『受験のシンデレラ』や『「わたし」の人生あ』が海外で作品賞や監督賞を受けるなど多彩な才能を発揮している。現在では、受験指導やカウンセリング、テレビやラジオのコメンテーターとして活躍する和田氏。受験の世界に30余年関わってきた氏は、い甘の入試や高等教育をどのように見ているのか。
<img src=”man.jpg” alt=”おおたに てつじょう氏”/>
おおたに てつじょう氏肖像写真

有限な自分の命を無限な未来のために、大切なものを大切につなぎ伝える。それが大事。早くから一本道に入るのもいいとは思いますが、選択肢はたくさん見て、徐々に整理していって、自分がいいと思ったところを残していくという生き方がいいのではないかと思います。もちろん、一つの仕事に打ち込んでいても同じ。色々迷いがあるときに、どれが自分らしい道かを自問して決めていけばいい。自分との対話を通して自分らしい生き方を見つけていければいいですね。おおたに・てつじょう氏1963年4月16日、東京都江東区にある浄土宗の重願寺住職の大谷旭雄の二男として生まれる。芝学園高等学校在学中17歳の時,故高田好胤薬師寺住職に師事、薬師寺の僧侶雨となる龍谷大学文学部仏教学科卒業、同大学院修士課程修了。1999年春から全国各地で『心を耕そう』をスローガンに法話行脚。2003年8月16日、薬師寺執事就任、現在に至る。

<img src=”man.jpg” alt=”拓郎氏”/>
拓郎氏肖像写真
拓郎氏大相撲立呼出”結びの一番”にかける声のプロフェッショナル2015年九州場所から立呼出に昇進した拓郎氏。角界に憧れるも体格に恵まれず呼出の世界に身を投じて40年。晴れて最高位となった同氏には、支えとなった人々があった。呼出として育ててくれた大先輩、立呼出に導いてくれた北の湖理事長との深いかかわり。拓郎氏は、先輩の拍子木と北の湖氏の思いを胸に、毎日結びの一番の呼び上げを務める。大相撲夏場所終盤戦、今日も国技館に拓郎氏の1日1番の呼び上げが響く。

 

<img src=”man.jpg” alt=”きし ゆうじ氏”/>
きし ゆうじ氏肖像写真

学校は全ての地域住民のために 地域は全ての子ども、教師のためにWin&Winの関係で 地域と学校の新たな協働関係をつくっていきたい。きしゆうじ氏 習志野市立秋津小学校PTA会長、同校区の生涯学習団体、秋津コミュニティ顧問、秋津コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省コミュニティスクールマイスター、こども 環境学会評議員、日本大学、埼玉大学非常勤講師、(株)パンゲア代表取締役。著書『学校開放でまち育て』(学芸出版社、2008年)『中高年パワーが学校とまちをつくる』(岩波書店、2005年)共著『地域との新たな協働を図る学校づくり』(ぎょうせい、2015年)他 http://www.akitsu.info/community

<img src=”man.jpg” alt=”まえかわ きへい氏”/>
まえかわ きへい氏肖像写真
学習権を基本に誰一人取りこぼさない教育を
教育は現場がつくるもの。政治や行政に振り回されず前向きに取り組んでほしい。
 様々な発言や行動が注目され波紋を広げた異色の文部科学事務次官として知られた前川氏。退官後も『面従腹背』『前川騎兵「菅」を語る』などを上梓、政官をめぐる暗部に切り込み、当代の論客としての存在感もみせている。その一方で、在省時には、寺脇研氏とともに「ゆとり教育」を推進するとともに、教育機関確保法の立案、夜間中学の門戸開放、新教育委員会制度の制定などに携わり、退官後には自主夜間中学のボランティアスタッフにも勤しむ。鳥の目・虫の目を併せ持つ教育研究科・実践家として活動する前川氏に、これからの教育の潮流について語ってもらった。